小さい頃から、家に帰ると母親に今日してしまったことを告白する癖があった。
具体的には、幼稚園の遠足でいったふれあいコーナーで好奇心からうさぎの目をちょんっと触ってしまったこととか、
スーパーで何気なく触れたお米の袋に穴を開けてしまったこととか、である。
(これは幼き私の2大重罪であって言い出すまでに1年弱かかったし、その他の大したことないことは大したことないので忘れてしまった)
そんな私が長い間思い悩んでいたのは、
「めちゃイケを見てしまったこと」である。
我が家は特に見るテレビも規制されなかったし、特にめちゃイケの、ナイナイ岡村がダンスを練習して、モー娘。のライブに入る企画は家族みんな大好きだった。
そんな暖かいテレビ番組「めちゃイケ」の何が幼い私を罪悪感に苦しめたのか。
それは「ぶんぶんぶぶぶん」である。
(正式名は数取団というらしい)
暴走族に扮した芸人達が「ブンブンブブブン!」という掛け声をかける。一人目が品物を言うと、次の人がその単位を答える、という、お勉強にもなる楽しいゲームだ。
(例えば タンス なら 次の人が1竿 と答える、 そのあと イカ、といえばその次の人は 2杯 …と答える…といった感じで進んでいく)
しかし、止まってしまうと、罰ゲームが待っている、突然相撲取りたちが現れて、ボコボコにされてしまうのだ(幼い私の偏見が含まれています。ご了承ください。)
それを見てしまったことが、たまらなく、たまらなく悪いことのように思えたのだ。
人が殴られるところを見て面白がる番組を見てしまった、そのことが幼い私の心に重くのしかかったのだ。
しかし、なかなか言い出すことが出来ず結局数年の時がたってしまった。
ある夜、私は母に「あのね…」と切り出した。
告白を始めようとすると、罪悪感と、いままでずっと胸に使えてたものが取れるうれしさで、涙がこみ上げ、声はしゃくりあげてしまった。
「ううっ…ぶんぶんぶぶぶんってやつ、あったじゃん?」
「うん」
「あれ、あれね、みたからね、わるいかなーっておもった。」
「そっか、わかった」
いつも私の懺悔に慣れていた母は、基本聞いてくれてそれで終わりなのだが、今回はちょっと伝わっていないようだったので、わたしは泣きながら補足をした。
「ぶんぶんぶぶぶんってね、するじゃん? うっ…間違えるとさ、なんか、殴られちゃうじゃん…だから、だから……(だからなんなんだと思った)うーん…かわいそうだった」
と、続けた。
母は「そっかーそうだったんだね」と受け止めてくれて、「かわいそうじゃないよ〜、大丈夫」と、おもしろいものなのよ?的な雰囲気をほのめかしてわたしを慰めてくれた。
あの時、わたしは、「だから…だから…」に続く言葉が浮かばなかったし、そこに入るべき言葉は「かわいそう」ではないなと、わかっていた。
だから、だから…を今考えてみると、
「誰かが貶められている姿は面白い」と感じてしまう人間の罪を私は背負ったのだ、とおもった。
メシウマ思想だったり、リアクション芸だったり、そういうものは沢山あるし、みんなは気にすることもなく笑っている。だけれどわたしはそれがうまく、うまく消化しきれず、どこかでそれって違うじゃん、と思ってしまうのだ。
だからいいのさ、君たちは、若手芸人のリアクションを見て、笑えばいいのさ。
その罪は全部私が引き受けるから。
その姿はまるでイエスキリストのようである。
君たちの、笑いの十字架を背負ってわたしは今日も生きるよ。