美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

ロマンチック・シンドローム

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「ほしいものが、ほしいわ。」というキャッチコピーは、糸井重里が1988年に西武百貨店のために書いたものだ。時代を惹きつけた女、宮沢りえが、美しすぎる。あと、広告が粋な時代だね…。私は小粋な時代に生まれたかったと思っているよ。はぁ、、、格好ええなぁ。ほしいものが、ほしいよなぁ、と思うのだ。キャッチコピーは、時代の物語をつくるからな。あたりまえのことをあたりまえのように発する、そういう豊かな時代って羨ましい。まあ、封をして私はもう完全に内向モードに移行したので、80年代の景色を見ながら生きていくと決めましたが…。わくわく。

 

昨日散々やりすぎブログを書いたんだけど、そわそわしている。打たれ弱い

 

昨日の夜は記事にも書いた、亡くなった、大好きだった旦那さんとの思い出をすごく大事にしてる女性とお会いして、帽子を譲ってもらった。

 

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ご夫婦でよく買い物に行った、アルマーニの帽子。網目がかぶせてあるけど、真っ直ぐの紐と、なみなみの紐が交互になってて本当に可愛い。旦那さんが、彼女のために選んだものだという。そんなものを、もらってしまって、良いのだろうか!!私はこの帽子をかぶるたびに、2人の思い出と、愛の存在を確かめると思う。大事にするのだ。旦那さんは子どもの頃、8人兄弟の末っ子で、戦後の大変な時代貧乏で苦労したというけれど、大人になったら値札を見ずに物を買うのが夢、と言っていたそうだ。「結局、戦後の好景気の中で、値段も上がってしまったから、値札は見なきゃいけなかったんだけどね。」と言っていた。自分が子どもの頃満足するまでご飯を食べられなかったから、親戚の子どもが来た時はたらふく食べさせてあげたのだという。自分が見なかった幼少期を、後ろの世代の子どもにつくったあげるというのはとてもいいな、と思う。

 

それから、これは恒例のお話なんだけど、まだ結婚するまえ、彼女が本人の実家の都合で、ハワイに行くことになっており向こうに到着し、部屋に入った途端、100本の薔薇の花束が、届いていたのだという。今から40年くらい前、海外のホテルに花を手配するって、どれだけ難しいのか。「そういうことにお金を使うのに憧れてたみたいなのよ。」と、笑った。

 

このお話は、多分2年くらい前に初めてお話をした時に聞かせていただいたもので、その時、「私、この話、初めてしたのよ。今まで忘れてた。久々に思い出したわ。」と言ってもらった。私の存在と呼応するように出てくる人の記憶の話が好き。『おジャ魔女どれみ』ってそういう話なんで…。過去の話が、好きなんだよね。死んだ人もそこにいることを感じる。私は、今から20年以上前に亡くなった旦那さんのことを知らない。だけど、彼女がピアノを弾けることを知って、「お父さんお母さんにピアノを聴かせてあげなよ」と言って手に入れてくれた茶色いピアノ。2人でモザイクタイルを張ったキッチン、テーブル。その全てに私は生かされている。

 

「諦めるな」と「できないことはない」が口癖だったという旦那さんは、部屋の内装にこだわったという。同じマンションの中でその部屋だけ、間取りが違う。壁をぶち抜いて、部屋を思うがままにしてしまった。

床のカーペット、廊下の壁についたモールド(縁飾り)、黄色に塗ったドア、壁紙。全く同じ補修をしながら当時と同じように紡がれている。

 

「ふたりが暮らした。」は、糸井重里が、『ハウルの動く城』のために書いたキャッチコピーだったっけ。私は糸井重里と、キムタクの話ばっかりしてるな〜。

 

バコン!と広がった部屋も、こだわりの内装も、魔力を使ってハウルが増築するシーンみたいだ。ソファが置かれているところはちょうど壁が入り組んでいて、カーテンで間仕切りができる。「ここによく夫が寝てたの」という。ソファの上の壁に飾られたその写真をまじまじと、よく見たことはない。ただ、そこにいたなだということだけを知っている。彼女が良くつくったお弁当に入れていたお惣菜を食べる。

 

「諦めるな」と「できないことはない」という言葉を、ふと思い出して、その言葉の力の美しさにため息をつくことがある。神に逆らおうというわけでも、鬱屈としているわけでもない、歪んだ全能感でもない。ただ、自分の暮らす場所を好きにカスタムすることくらい、叶うのだと、思う。この前私は自宅で洗い物をしている時に、キッチンの蛍光灯がチカチカしており、「これ照明器具ごと変えられないかなぁ」と思うも、(まあ無理か、接続部とか合わないかもしれないし)と考え直して、再びシンクに向かう。でも、そういう時に、ふとその旦那さんの言葉を思い出すのだ。「諦めるな」と「できないことはない」を思って、ふっ、と顔が綻ぶ。そうだよなぁ、壁ぶち抜いて間取りを変えてるんだものな。もっと自由にできる。壁を好きな色にするくらい、照明器具を変えるくらい、できるよなぁ。と、思う。会ったこともない、死んだ人の言葉が、生き方が今日も私の中にある。

 

「諦めるな」と「できないことはない」で作られた空間とそこに暮らす人を見てしまうと、私はそれが現実になることを知ってしまう。だから、ほしくなってしまう。個人のセンスと趣味が詰まった空間とはこういうことを言うのか!と思うのだ。私もそんな場所をつくりたい。そこに誰かがいたことが、匂い立つような家。

 

思い出のうちに あなたはいない

そよかぜとなって 頬に触れてくる

木漏れ日の午後の別れのあとも 

決して終わらない 世界の約束

いまは一人でも 明日は限りない

あなたが教えてくれた 夜にひそむ やさしさ

「世界の約束」──『ハウルの動く城より』

 

物語は続くのだ。私は、継承に確信がある。自分で言うのもあれだけど、ずっと純粋な笑顔でいたい。純度を極めて高く保ちながら、純度の高い話を受け取りたい。

 

社会学的に見れば、果たして私が聞いた話は、ロマンチック・ラブ・イデオロギーに過ぎないだろうか? この世の関係性の、何百分の1だろうか。相手が死んでいるのだから、遺された側が改変した理想の物語だろうか。部分的にはそう。だけど全てがそうではない。

 

でも、人と人との間に愛は宿るし、そこには2人の人間が同じ時間を紡いだ軌跡がある。そのことを美しく思うことは真実であり、私が帽子を受け継ぐということは、そこにその関係があったということの結晶である。

 

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昨日食べた杏仁豆腐は、フルーツがたくさん入ったもので、昔わたしの家のホームパーティで出していたものに近い。そんな記憶を、私は、ふと思い出す。

 

家に帰ってから、その日その女性からもらった手づくりのパンの耳揚げを食べる。昔家でつくったなー。祖母に作ってもらったんだっけ?意外と外で売ってるものではないからな。(これこれ、美味しいんだよね)と思う。美味しいわ。100本の薔薇も、何も諦めない空間も、パンの耳揚げも、同じ時空にある。これは現実なのだ、と思う。

 

「ロマンチックであるというのは、がんこ、ってことらしいですよ」と、昨日私は彼女に言った。彼女は笑った。「たしかにそうかも。」と。虚構も物語も、貫き続ければ、そして手を動かし、好きなものを集め、再現すれば現実になっていく。その現実の続きに、私がいることが、ただ嬉しい。

 

東京の街は、私に優しい。

過去の延長に、今私が生きている。