美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

シンプルな欲望に素直になろう

 

 

欲望はシンプルな方がいい、と、友人に言われた。それで、なるべく直球の自分の欲望ってなんなのかを考え始めた。

 

世間のルールみたいなものが特によくわかっておらず(わかった上で無視してるやつもある)、たぶん、外界のルールに合わせるよりも、シンプルに自分の中に他人を引き摺り込んだ方がいいという結論に至った。マイワールドを拡充させる、私がホストの場所にいる、もしくは、私とバイブスの合う人がホストの場所にいる、などである。

 

だって、相対的に倫理観高い方だと思うもん。何かをアップデートする必要もなく、すでにこれがまあまあ最新の人権意識かなーってものが適応される空間を再現する方が、戦うより楽なんだよ。気楽。知ってるものをやればいいだけだから。未知の領域と接して絶叫している間に人生終わっちゃうのやだなーーーーーー。

 

なるたけ、胎内をつくることに注ぎたいんだけど、それって、本当に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と、『ONE PIECE FILM RED』なんだよな〜〜。

 

なんとなく、女の子が、楽しく日常を暮らしたいっていう願いは、昏睡中、夢の中の出来事として処理され続けるんだよな…なんでだろうな…愛が夢であるとき…暴力もまた夢だから…。

 

愛の箱庭は、他者の自立と自我を損う要素と鏡合わせだかんねー。でも、私、自分の母親専業主婦だったからわかんないんだよ。私のおばあちゃんも専業主婦だったもん。パン教室の先生やっててさぁ。それになりたかった。『西の魔女が死んだ』の世界観だもんな。魔女になりたいって最初から言っているだろう。大人になったらハーブティー沸かしてババロアつくって生きていくと思ってたもん。

 

まじで、ジブリの中で、『コクリコ坂から』が好きで。いつも旗あげて、朝ごはんつくって、の繰り返しでいいのに、と思う。いつも、私が揚げたら、旗が絡まりそうだなぁ、と思うんだけどね。『コクリコ坂』は序盤が好きなだけで、後半を覚えていない。

 

なんかめちゃくちゃきちんとした気持ちで、場づくりやってたのに、最近、よれている。持ち直してきたけど。

 

たとえば、「膣トレでスピリチュアル開花」インフルエンサーをガチでやってる女性に、私はどう対応していいかわからない。当然のように、「膣トレでスピリチュアル開花」の女性は、『コクリコ坂』ではない。

 

途中までいいブログだったのに全部をかっさらっていく「膣トレでスピリチュアル開花」という言葉。絶対に『コクリコ坂』ではないんだよ。欲望をシンプルにするといいな。なんで嫌いなのかとか、理由をつけなくて済むし、嫌いだってジャッジするのも疲れるから。

 

だって、サードプレイスとケアの話を考えてて、そんな人が来るって、一度だって考えたことがある!?「膣トレでスピリチュアル開花」の女性の対処法、東大のケアの講義では出てこなかったな…。いつだって、現実の方が想像を絶してくるのだから。いや、嘘やん。

 

陰謀論に毒されてたり、戦争した方がいいみたいな話をする人とかもいる。あえて極論を言える俺、みたいなやつだ。びっくりするよ、私そういう人のために場所開けてたんだっけ?って思うようになってきて、困ってきた。

 

なんかさ、私は場に対して当初もうちょい気丈な気持ちでやってたんだけど。はっきりと、言葉を選ばずに言えば、居場所を求める人は、ほかに居場所のない人である。見えやすい旗はいろんなものを連れてくる。たぶん自分が立ってる場もそうなんだけど、私自身がそういう隙を持ってるんだと思う。 

 

先輩の50代女子から、数年前に、「美人ちゃん、あなたは今すべての負のエネルギーが襲いかかってきている。もう少しガードを学んで巫女力を高めなさい!」と言われた。

 

 

なんかさ、"正気"なんて人の数だけあるんだけど、私はもう、"正気"のチューニングがわからなくなっていたんだよ。慌てたよ。

 

幼なじみの実家でうどんを食べた。

 

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三つ葉とネギが入ってて嬉しかった。

 

デパートやホテルのラウンジで人と会うのが好きだ。アラウンド還暦女性がやる営みの全てが好きだ。

 

シンプルな欲望に素直になろう、という話を別の友人とした際、「美人さんは他人の目を気にしてゴニョゴニョ考えているから、道のりは長い。」と言われた。そうなのだ、他人にどう思われるか考えなくていいと、言われて、人にちょっと眉を顰められてもいい、私のシンプルな目標を考えたんだけど。

 

マジで制限を取り外して最もシンプルで他人の目を気にしないで言っていい目標なら、

「昼間から文化村で映画を見る有閑マダムになりたい」が出て来た。そうなのだ、私は「昼間から文化村で映画を見る有閑マダムになりたい」のだ。だから、もうそれ以外のことは考えなくていい気がしてきた。

 

有閑マダムとは、娯楽と社交にふける夫人のことである。私は文化村で映画を見る有閑マダムに愛されたい。私は気がついたのだ、まっすぐ一生懸命生きていても、他人を傷つけたり、嫌われたりすることに。そして、私も他者を嫌いになってしまうことに。それなら…文化村で映画を見る有閑マダムには愛されるような自分でいよう…。モテ?キャリア?どうでもいいです…文化村で昼間から映画を見る有閑マダムな愛されることは中長期的な目標であり、後続の育成にも取り組みたい。

 

いいことか、悪いことかなんかどうでもいい。

自分のエゴを100出した場合、マジでそうだ。文化村で映画を見る有閑マダムに愛されたい…。

 

オリーブでコラム書いてた山崎まどかが、母親と文化村で映画見まくってたららしいんだよな。(山崎まどかは帰国子女でセンスが良くてコラムを書いたりしているのでクラスでハブられる)

 

 

 

文化村で有閑マダムと映画見て、ランチして、ちょっとワインとか一緒に飲んで、「あら、あなたそんな昔の作品も見てるの?」「これがミニシアターで公開していた時は〜」とか言われたり、「ここは昔、安井かずみ加藤和彦がね」とか話しかけられたり、したい。(今もほぼそんな感じだが) 帰りに「チョコレートを買って帰りましょう!」「そのあと編み物をいたしましょう!」なんてのも良い。刺繍もしたいなぁ♪♪

 

なんかいろんな人が集まっている催しで、なんとなく私だけ奥の席に呼ばれて、東急の関係者だったりする方と、そばには品の良さそうなおばあちゃんがいたりして、結局そうなる。私と地元が同じと言って、缶詰バーに誘ってくる、和服を着た不穏なお爺さんの相手はできない。人には違いがあると学んだ27歳。その辺の塩梅がわからず私はパニックになっていたが、最近うまく、いなせるようになってきた。私の人生の中で私にとって無意味すぎるものに声をかけてくる人ってそんなにいなかったから…。

 

だから、人に嫌われてもいい、良い人でなくてもいいのなら…私は…文化村で映画を見る有閑マダムになりたいのだ…。それならそのためにエネルギーを向けた方がいい。それ以外のものはシャットアウト!社会のため?ケア?私は私のために生きていいなら…やはり…有閑マダムに愛されることを第一にしたい…。

 

ていうかぁ、ルール守れないんじゃなくてぇ、女の子のルールなら結構守れるんだよなぁ。

規律が嫌いなんだよ、愛とモラルが好きなんだよ。人に優しくするとかさ、嘘はよくないよっていうとかさ、裏切らないとかさ、ひとを大事にするとかさ、そういうのが好きなんよなぁ。

 

まーじで、ほんと、シンプルにするぞ。