わかってるね、という時間が自分の店でだけ起こる。
わかってるね、がわかんなくなったけど。
今日来たお客さんが、よく行くゲイバーのママが、一緒にイタリアンに行く時は相手のことを慮って、オネエ言葉を抑えてくれている、と言っていた。そうかー、と思う。私はそういうことができない。だから、恥をかかせているのかもしれないと思う。多分私はいつもオネエ言葉を話している。
自分にはスイッチがあり、私はお店に立つ時のテンションと地続きで生きているのに、お店では大丈夫なのに外ではダメな時がある。TPOが守れないのは私なのだろうか。私はTPOを壊したいと思っているが、一緒にいる人に恥をかかせる必要は無いのだなと思う。すごい寂しい。
例えば家ではイチャイチャしてくれるのに、外ではめちゃくちゃ冷たい恋人といるような気持ちになる。え、アメリカでは路上キスとかしてるのに!?みたいな。私がいつも幼いみたいな扱いを受ける。気に食わない。私は常に外でもイチャイチャしたいタイプだというだけなので、外ではつっけんどんだけど、夜はめちゃくちゃイチャつくみたいなほうが性に合う人はそうすればいい。
私はずぅっと、イチャついてたい。多分。常にオネエ言葉がいい。人生の時間は限られているから。それに、そういう扱いを受けない場所もあるから。本当に思っていることを言いたい、私の身体から発される言葉は常に私のものでありたい。別に美人ちゃんを批判してるわけではないよ、というのはわかるけど、私は私のブログや、私の店から出ることができない、というか、出ないことを選んでいる。ゲームマスターでいたい。一生オネエ言葉がいい。 だから書いてるんだよな。何かを暴きたいとか、何かを批判したいみたいな気持ちが、自分の中になんで湧いてしまうんだと思う。なるべく嫌な気持ちになりたくないのに。どうしても嘘がつけない、ごまかせない、全部が嫌になり、私が狂っているのか、外側が狂っているのかわからなくなる。何ひとつ平気なふりなどできない、何ひとつ仕方ないと思えない、何ひとつ、変われない。自分の感じていることに嘘がつけない。
私はずっと私で、私はずっと美人ちゃん。決めたから。決めた!決めた!決めた!!!!!!!バーーーーーーカ!死ね!
好きなYouTuberのラジオを聴く。呼吸ができる。私は自分の限られた人生の中で、常にオネエ言葉でいられるかどうかを大事にしている。
オネエ言葉でいられる時間のことを水商売と言われるなら、なんでそれが夜の領域に押し込められてるのかと思う。茶番は嫌だと、常に思っている。
私が常にオネエ言葉で話し続けることが嫌な人は私と距離を置いてください。それでもいいです。私はずっとオネエ言葉を話し、ずっと同じ場所におり、ずっと同じ言葉を綴り続けます。誰と過ごすかより、私は自分がそのオネエ言葉で話し続けるほうを取ってしまう。結局は自己愛ということです。それに付随する責任は自分で取る。死ぬまで自分の言葉で喋りたい。自分の人生の操縦桿を絶対に手放さない、何ひとつ外界によって捻じ曲げられたくないと強く強く思っており、それによって全員に嫌われてもいいと思っているんだよな。
嫌われてもいいと思うと元気が出てきて、ずっと美人ちゃんでいられる。美人ちゃんと呼んでもらえるから美人ちゃんでいられると思っていたのですがもう違って、嫌われても、友達ゼロになってもいいので美人ちゃんをやめたくないんだよなと思う。絶対にやめない。死ぬまで美人ちゃん。
本当はわかってるんでしょ?と思いながら、私は折り合いをつけない、つけないでいく。つけないでいくんだと思う。全員に嫌われてもいいと思っている。だだをこねてればいいといったら呆れられたけど、なんで?と思う。勇気がないことを大人だと勘違いして私を、幼い扱いするなよ、お前だってわかってるくせに。なんなんだよ。何ひとつ手に入れられなくてもいいから、たったひとつ、ずっと美人ちゃんでいられればそれだけで十分。