美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

偏差値という病

久々に学校へ行くと、付属校の小学生たちの集団がいた。どうやら、大学見学に来たらしい。

 

まあ、私の大学は(きっとこの記事を読んでいる9割5分の人は知っているだろうが、この記事は検索避けも兼ねてあえて伏せさせてもらう)、まあかなり有名で、私は小学生の時から行きたいなあと思っていた大学だった。

 

思い入れもひとしおで、「ここに入らなきゃ、私の人生じゃない!」と必死こいて入った大好きな大学だ。

 

さて、冒頭の小学生たちの話に戻るが、彼らは学生の案内を聞いていた。彼女が各キャンパスと学部の説明をはじめると、男の子が「一番偏差値が高いところはどこですか」と尋ねた。彼女は少し困りながら「ん~政経かなぁ」と言う。そして彼はまた尋ねた「一番低いところはどこですか」と。隣にいた女の子が「そういうのは聞いちゃいけないの!」と言う。彼女は笑って説明を続けた。

説明が所〇キャンパスの話に差し掛かり、彼女の手元のボードには「人間〇学部」と「スポーツ〇学部」の文字が並んでいた。それを目にした男の子たちから「あ、偏差値低いところだ」「頭悪いところじゃん」と、声が上がる。

彼女は「スポーツ〇学部は同級生が日本代表!なんてこともあるんだよ〜!」と笑顔で話すが、それに被せて「でも頭は悪い。」と口々にいう。笑い声が上がる。

「人間〇学部には、通信教育課程ですが、羽生結弦さんも在籍しています!」という彼女の声に、「じゃあ羽生結弦って頭悪いんだw」と口々に笑う声が聞こえる。まさに、地獄絵図だ。

 

 

 

しかし、思えば私もそうであった。ずっとずっと自分が特別な子であると勘違いしたコマしゃくれた小学生のひとりであった。

 

小学4年生の時、両親から、「これから塾に行くことになる」と告げられた。「周りの子達も行く子いるんじゃない?」と母に言われたので、次の日には「ねぇ、塾とか行くの?」とクラス中の子達に聞いて回った。朝学校行ってから下駄箱で靴を履いて帰る瞬間まで手当り次第に聞きまくった。

母親が知ったら青い顔をしそうであるが、私は「4年生になったら塾に行く」というのは、それまで親からは聞いたこともなかったし、学校でも聞いたことがなかった。だから、少し驚いたけれどうちのママとパパが言うからそれが「普通」なのかなと思った。(結局は家庭の価値観なんだけどね。子供にとってはそれがすべてだ。)

 

小学校は「みんなおなじ」で当たり前であった。これから私がするらしい、パパとママが決めた「普通」のことが「普通」なのかがきになったわたしは、「みんなもそうなのかぜひ聞きたい!」と思い、大調査会を実施したのだと思う…。

 

結果、塾に行くと明確に言ったのは私だけであった。でも正確には、私の小学校は最終的にかなりの数が受験したので、みんな他人に言わなかっただけなんだろう。笑

(高学年になる時にはみんな割とオープンにしていたが。)

 

そんなこんなで流されるままに、塾に入った私であったが、塾での生活は、それまでの窮屈だった学校生活が一変するほど幸せであった。

純粋に、知らないことを知ることとか、学ぶことが楽しかったし、小学校の先生は毎日イライラしていたから嫌いだったけれど、塾の先生はすごく面白くて、へー、先生って好きだなあ、と思った。

 

 塾では入った時から割と上の方ではあったし、クラスも授業も本当に楽しかった。母と父は私に勉強しろとはあまり言わなかったが、私がなにかわがままを言うと、「塾を辞めさせる」と脅した。また、夜遅くに送り迎えをしてあげていることを母とそれについてくる弟に感謝しなさい、とも言われた。私はそれがずるい、と思った。確かに受験は私も望んでいたけれど、両親に言われて始めたことだから。

目の前に出されたからやったし、楽しかったから続けた。でもそれは私が選んだものではなく、両親のいうことを聞いた「いい子」なのになんで私の希望に家族が付き合っているみたいな話になってるんだ、と思っていた。

 

大学受験になれば親のサポートへの純粋な感謝ができたけれど、言うことを聞いているだけなのにさらには感謝まで要求される、というのが、中学受験では理解出来なかったんだと思う。

 

中学受験における精神性ってそうだ。親の言うことを聞いているし勉強もしている。こどもとして正しいことをしている、という自信がだんだん驕らせるんだろうなあ。

 

まあ、私の場合、塾に通うのが何より楽しかったから中学受験の思い出はいい思い出だけど。

 

私が楽しい塾生活を送る一方で、学校の雲行きは怪しくなっていく。普通の公立ながら受験する子たちがクラスの大多数を占めていたため、学校での授業の殆どは「みんなが知ってること」になりつつあったのだ。

受験をする子達はコマしゃくれているし、先生達は「教えてないことを知っている生徒」を好まない。「受験する子」は親の言うことを聞いた、勉強をするいい子である、しない子もまた等しくいい子である。しかし、こう、なんとも言えないミゾ、人生における初めての人生における選択の差っていうか、大人になるってこういうことか、みたいな雰囲気を感じることになる。どっちも正義なのにね。

 

私も無意識のうちに、「中学受験至上主義」に毒されていた。

給食の時先生が各班を回って一緒に食べる、という風習が嫌いだった。小学生の内輪受けではなく、話題に先生も入れなくては、という意識に駆られてしまうからである。その時の私の班はちょうど受験する子が多かったので、連日受験の話になることが多かった。先生がその班に加わり、何を話していいかわからなくなった私は、昨日その班の男の子に教えてもらった話を振った「〇〇くんのお姉さんって白〇合(中学名)なんですってすごいですよね~」と。

特にその話がしたかった訳では無いのだけど、同じ受験の話でも、私たちの話よりお姉さんの話の方が生々しくないかな、と配慮し、そして昨日の給食で盛り上がった話題なので、昨日までの班の話のあらすじ、ハイライト、として紹介したのである。(今思うと全然小学生としては不適切なんだけど。)

 

先生は「別にすごくない」と言った。班がしらけた。いや、私はまだしも暗に〇〇くんも、○○くんのお姉さんも、事故った。気まずかった。

 

 

今思うと不適切なのはわかるのだけれど、大の大人が小学校相手に露骨に不機嫌な態度をとるほど中学受験ってのはデリケートな問題なのだな、と思った。

 

 

確かに中学受験をする子供は「自分のことが特別だ」と思い込んでしまう。

塾に入り成績別に並べられ、みんなが知らないことを勉強する。その驕りと傲慢さは天下一品だ。学校が偏差値別に並べられた表を見て、下の学校をバカにする。そんなことが当たり前の世界で生きてきた。麻痺していく。

 

そんな麻痺のまま中高一貫に入学した。中高一貫はいかに偏差値が高い大学に入れる生徒を出すかという商売でもある。(もちろんそれだけではないけど) だから、偏差値が絶対的な正義だと思ってきた。有名大学に行くことこそ人生のただ一つの正解だという価値観に浸かり、縛られ、並べられた。

 

バイトができる高校生が羨ましかった。放課後原宿に行ける高校生が羨ましかった。なんちゃって制服を着て、スカートをギリギリまで短くして、つけまつげをつけて、カラコンをして、若さを満喫している女の子たちが羨ましかった。私は雑誌に載っているJKには、なれなかった。そのコンプレックスは、さらなる偏差値至上主義へと向かわせる。将来幸せになるのは私たちだ、私たちが正解だ、と。

 

女子高生の時、私は大学受験をしない人たちがどこに消えていくのかわからなくて怖かった。

 

今渋谷や原宿をほっつき歩いている人たちはこの街のどこに消えていくんだろう。

これからの社会の「表舞台」(だと思いこんでいる)にいるOLは私たち大卒だ。でも、このギャルたちはどうやって生きていくんだろう。

 

有名な大学に入れなくて「何者にもなれなかった人」はどうなるんだろう、消えるのかな、社会から相手にされなくなるのかな、若いうちはなんとかなっても若さがなくなったらどうなるんだろう。

 

いい大学に入らないと消えてしまう。

(私が知っている)一本道を踏み外せば(私の知っている)世界からは消えてしまうから。

そんな漠然とした恐怖が私を襲っていた。

 

必死で勉強して入った大学で、私は特に勉強せずに、この大学にやってくる人たちがいるのを知る。純粋に学問が好きで、この大学にやってくる人たちがいるのを知る。

 

それを知った時、なんだか頑張って入ったことを誇っていた私が恥ずかしくなった。あぁ、なーに私つまんないことにこだわってたんだろう、と。

 

そして、自分が本当に欲しいものをやっと手にした時、初めて周りが見えた。やっと偏差値の檻から出られたのだ。いろんな人生があること。別に大学に行かなくても消えないこと。むしろ、専門学校で自分のやりたいことをできるようになる、そんな生き方の方が理にかなっているんじゃないか、と心から思う。

 

でもきっと偏差値の檻から出るためには、コンプレックスから抜け出さなきゃいけない。

しかし、皮肉なことであるが、私の場合、偏差値の檻から出るためには、高い偏差値を手に入れる、という成功体験が必要だった。なぜなら、コンプレックスというのは、他人が持っているものを羨むことから生まれるからだ。

 

だからもしかすると、私は大学受験に失敗していたら、一生偏差値コンプレックスを抱えて生きていたのかもしれない。

 

偏差値格差社会は本当に正しいのだろうか。

わからない。

わからない。いつも自分と違う生き方をしている誰かを馬鹿にして生きてきた。

誰かの生き方が不正解だとバツ印をつけて生きてきた。

本当は雑誌に載るような、メイクバッチリの女子高生になりたかった。でも許されなかったから、彼女達の生き方を否定して、自分たちが大学に進学することを正当化することしか出来なかった。

私は今まで勉強をしてきた。それが正しいと思うために、偏差値が低いことはダメなことだとバツ印をつけて生きてきたのだ。

 

だけどそういう生き方は息苦しかった。誰かにつけたバツ印は、いつ自分に向くかわからない。きっと今の大学に落ちてたらずっと自分にバツ印を背負わせて生きていたのだろう。

 

結局、自分がいい偏差値の大学に行かないと、その檻から出られないのなら、誰しもそうなのかもしれない。

ほとんどの人は偏差値コンプレックスから

解放されないのかもしれない。

 

それに私は偏差値なんてくだらなくて、自分がこの大学に入ったことを大したことないと思いはじめていたが、自分が恋したこの大学を、もっと愛していいし、それは恥ずかしくないことなのかもしれない。私がこの大学に入った理由は偏差値でくくりきれないし。そこに息づく文化や、流れる血潮に恋をしたのだから。

 

偏差値は確かに今の世の中を生きてく上で必要だし、私ももちろんその恩恵に預かってきた。

だけど私は書きたい。今日出会ったあの小学生達に「そういう価値観」があることが恐ろしくなったから。きっと彼らの両親がそう思っていることが無意識に刷り込まれているのだろう。そういう価値観もすべてが間違いではないけれど、それがすべてではない、と思ったから。きっと彼らが持っているその価値観が、いつか、彼ら自身を苦しめる時が来るから。みんなが幸せになるために、ちょっと世の中が自由になるために、思ったことがあったから昔の自分を通して、考えてみることにしたのだ。

 

私は偏差値の檻からでて、楽になった。人生は踏み外すと死ぬ一本道ではなくて、どこへでも行ける、地平線の向こうまで広がる大地だったから。

 

さて、大学を出てなんになろうか。ファッションデザイナーにだって、ライターにだって、カメラマンにだってパテシエにだってなれる。みんなに自慢できる商社に行ってもいいし、ベンチャー企業に入ってもいい。やりたいことをやってなりたいものになっていい。

 

偏差値なんて入口は世界を覗くほんの小さな窓なのだ。

 

それなりに偏差値が高くて希望の大学に行った女だから言える戯言かもしれない。でもきっと、これを書けばもう少し幸せに生きられる人たちがいるかもしれない、書くことに意味があるかもしれない。そう思って、私は今筆をとったのだ。(スマホだけどね)