美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

わかってきた

この世には絶対値で+、絶対値で−みたいなものがあって、それに、いい悪いもなく、ちょうどいいバランスでできている、そう思う。正しいものと同じくらい正しくないものはある。

 

理性と感性は同じ分だけあり、陰と陽も同じだけある。泥の中の方が住みやすい魚と、綺麗な水でないと生きられない魚がいる。全てはバランスなのだとわかってきた。一つ一つのことにおどろかず、おびえず、あるもんはあるので受け入れてみることにした。

 

たとえ相手が暗部にいることと、私が純度の高い幸福の中にいることを求めるのは関係ないのだ。全ては自然のバランスで成り立ってんだよなぁ、と、思ったりする。だから自分と正反対っぽい人と仲良くなるのかなぁ。

 

プラスルマイナンだから。友情って。どっちがいいとか悪いとかじゃないかもしれないね。ただ、だからこそ私にとって居心地の良い場所をちゃんと手に入れていいんだと思う。自分の幸せの中にちゃんといたい。どうしてもOSに光しかない。

 

わかる、私のOSが光でも、売春も、風俗店も、エグい痴情のもつれも、この世にはあるし、無くならんと思う。別に無くそうと思わん。何かを憐れむ必要もなく、私は自分が棲める場所を探すのみなのだ。それはまあ、引力のようなもの。海の干潮と満潮。砂浜と海のバランスのようにそこにあるんだ。わたしがいわゆるちょっと陰のあるものを引き寄せやすいのもまあ、絶対値の凹凸で噛み合うところがあるんだろうな。ひとつひとつに驚かずに必然だったと大きく構えよう。

 

タンスの中の湿気取りみたいに、たぶん、それを吸うのもまた私の仕事のひとつだと思うんだよな。ぐじゅぐじゅにならない範囲で。全ては必然なんだ。引力のバランスだから。私は何一つ変えられないんだよなぁ。そういうことをちゃんと思い出してきました。

 

今日、中目黒の商店街歩いてた。好きな曲聴いてたらめっちゃ幸せだったぁ。

 

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岡崎友紀の「グッド・ラック・アンド・グッバイ」を聞いていた。原曲はユーミンなんだけど、岡崎友紀のバージョンには、セリフが入っている。

 

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「どのくらい会ってなかったかしら?

でもかわってなくて安心したの

だって私…ぜんぜん…

昔のまま」

 

 

やっぱりそうなんだよな。ちゃんと別れが別れであった時代と、偶然が偶然であった時代のことをよく考えていた。最近、身体ひとつで生きていくことは、昔と大差ないんじゃないかと思って、意図的に自分のいたい場所にお金を払うことをやっている。現実だって、自分の日常をどうカスタムするかのVRだからなぁ。

 

新しい音楽も、新しいドラマも、新しい映画も、もうそんなに欲しくないし、私が欲しいものって、過去にしかないんじゃないかなぁと思う。多分ね、昔の時間の不可逆性と重みが好きなんだよなぁ。みんな1回きりの友情とか、仕事とか、恋をしてるように見えて、羨ましい。

 

もっと大宅壮一文庫で、昔の雑誌とか読み漁ろう。それが私の好きなこと。

 

全然趣味合わん人と話し合わせんのは、もういいや。よくわからん架空のすれ違いのことを思いながら、中目黒の商店街を歩いてるのが好き。今日は私の好きな時代に前線で仕事をしてた人と会ってた。もっと文化が溢れてセンスが良かったあの頃の継承者になりたい。

 

もっと西武の広告のこととか知りたい。ロマンチックで格好いいものが好き。自分が持ってるものを最大限使って、そっちに舵を切っていいんだ。自分の絶対値は多分プラスで。マイナスの世界にはマイナスのプロがいるはずなので、自分の違和感には正直に、心がキラキラするものを選んでいきたいと思うのだった。

 

私は私の夢の中をちゃんと生きられるから。なんか、インターネット登場以前ってそんな感じだったんじゃないのかなぁ、みんな。ひとりひとりのエッセイを生きるんだよ。

 

グッド・ラック・アンド・グッバイ、良すぎる。物理的なすれ違いと、別れが、ちゃんと精神と一致してるんだよなぁ。そっちの方が自然なんだよなぁ。

 

 

 

「ふり返る 大通り

あのひとに 見えるように

混んだバスのくもった窓に書く

大きく GOOD LUCK AND GOODBYE

大きく GOOD LUCK AND GOODBYE」