美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

爆発する様な知性とエネルギーに触れていたい

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最近ブログを見ていた人ならわかるかもしれないんだけど案の定調子が悪かった。上滑りの様な文を書いてしまう、しかも長文でうわごとの様に書いてしまうときは、本当は自分が何をしたいのかとか、お金と身体と時間、それに対して心と頭が急いている時である。

 

誰に話しかけていいのか、どんな人が読んでくれるのか、どんな人に読んでもらいたいのかもわからなくなり、自分の中に他者がいなくてひとりぼっちな気持ちがする。

 

目の前の人を尊重しようと思っても、なんというか本当に思っていることを言ったら肩透かしを食らってしまう様で、緩やかにナメて過ごしたりする。

 

そんな時、友達から漫画『3月のライオン』を借りた。プロ棋士として戦いながら生きていかざるを得ない主人公と、彼を拾って家庭に招き入れた3姉妹の和やかな様子が描かれる。

 

主人公の零は、まだ高校生ながら、対戦のたびに自分が打ち負かすことになる年長の対戦者のことを気にかける。これに負ければ引退がかかっているもの、これに負ければ家族との離婚が決まってしまうもの。目の前のそういうものを背負った対戦相手に対峙して、打ち負かしたあとに走って彼らの背中を追う。そのことが正しいのか救いなのか間違ってるのか愛なのかはわからない。死ぬ気で将棋をやっている零に対して、負けた側は理不尽な罵詈雑言を吐くが、零はそれをどうしていいのかわからない。

 

弱いのが悪いんだろ!と誰もいない公園で怒鳴ってみたりするものの、それでも答えは出なかったり、長いキャリアの徳の高さを期待してみたら大したことないジジイだったり、逆にナメてた相手に恥いるほどに打ち負かされて己の小ささを知ったり。そんなことだらけだ。

 

零は、家族を亡くし、将棋をするための養子としてプロ棋士が家長をつとめる将棋一家に引き取られることとなる。生きていくために必死で将棋に食らいつき才能を開花させた零だったが、彼に凌駕されたその家の実子たちの様子がおかしくなる。巣を食い尽くすカッコウ、と零は、その家の実子に言われる。

 

そうだよな、それぞれのびのびやればいい、とはいえ、やっぱりそういうものは、ある、と思う。弱さ、強さ、勝ち負け。誰からみても歴然の差。残酷までに生じる答え。そのことにそれでもひたむきに挑むのは、たとえ相手をとても傷つけることになっても、リスペクトなのだということを思い出す漫画だった。

 

そういうことを思ってはいけないというのはつらすぎる。ないことにはできないなと、思う。